なものだが、芸術の民衆性乃至大衆性とは、芸術がこういう面白さの外覆を有っているということでなければならぬ。芸術的真実と云っても、それだけをいきなり鑑賞者におしつけることは、却って芸術的真実を傷つけるもので、つまり難解な芸術に終るのである。それは鑑賞者の甚だ限られたグループの一定の特異な教養に訴えるものか、そうでなければ作家仲間のお互いの間だけで楽屋的な価値評価を要求するような、エチュードやノートや実験室的試案でしかない。之はまだ社会に於ける芸術というものではなく、況して大衆的な芸術ではあり得ない。芸術の具象性や形象化ということも、こういう甘美なアンテナと離して理解してはなるまい。――大きな芸術は民衆的に平俗な面白味を以て、まず一般大衆を捉えるものだ。そして大衆は一旦捉えられたが最後、遂にいやでもその大きな芸術の芸術的な大きさと高さとへ、つれて行かれるものなのだ。そこで初めて芸術の面白さの最後の意味が体得も出来るわけだ。優れた芸術作品はそれ自身の内に、そうした云わば教育制度を有っている。
芸術作品のこのごく平俗な外面的面白さ、外部的な魅惑、之は或る意味では案外思想的なもので、それはテー
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