、教養し建設せしめ考えさせるその最も普遍的で誤まらぬ手段なのである。であるが故に娯楽は、芸術の本質そのものの内にぞくする。娯楽は元来芸術性を有っているのだ、そして芸術も最後まで娯楽的特色と絶縁することは出来ない。芸術の大衆性をまともに考えれば、そうあらざるを得ない。勿論娯楽はそのままで芸術にはならぬ。だが芸術への案内人であり客引きでなければならぬというのだ。だが芸術それ自身が抑々、生活への案内人であり客引きではなかったか。
以上は芸術に於て娯楽が演じる建設的な役割についてであったが、或る意味で之と全く平行して、生活に於ける娯楽の役割を導き出すことが出来る筈である。云わば娯楽とは、真実にそして幸福に且つ健康な生活をするための、最も大きな民衆的な閭門なのである。民衆の乗ったものなら駱駝でも何でも通れるのである。社会に於ける娯楽の通用と娯楽施設とを無視しては、大衆の要求する幸福を適切に語ることは出来ない。――資本主義社会に於ては、一方に於て如何に娯楽の施設が階級的に偏極されているかに気づかざるを得ないと共に、他方に於て娯楽というものの教慰的な必要が如何にケチに歪められた観念に捉われているか
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