素養としての科学教育の独立の意義を充分に認め得ないということから来るのであった。科学的素養の教育と科学的専門教育とは、あくまで区別されねばならぬ。科学と云うものの本性上之が必要なのだ。それが区別されることによって、却って初めて両者の真に生きた連関、お互いに欠くことの出来ない相互条件が見出されるだろう。
 そうしない限り、例えば専門学者が大衆的な教科書をかくことを潔しとしなかったり、科学を教材としか心得ていない先生達が我とばかりに教科書を編集したり、それから素人はどこへ行っても科学はムヅかしいものだというような無責任な常識に安住したりする、こうした日本文化全般に於ける科学的低能性を、是正する方針を立てることは出来まい。

 併し私が最も興味を有つのは、専門科学教育よりも寧ろ、普通科学教育、つまり素養乃至教養としての科学の教育についてである。専門科学教育に関した問題も、この興味の観点から問題にするのが唯一の正当な道だと考える。その逆のコースは事実上色々の無理を産むだろう。専門科学教育の壇上から科学的教養を考えて行くと、一切の衆生は専門家の下に立つ極めて至らない不完全者に過ぎなくなる。夫はま
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