るで現役の将校が、一切の国民を自分の部下の兵卒に過ぎぬと考えるように妙な事で、職業意識の戯面[#「戯面」はママ]なのだが、こういうアカデミシャン意識のカリケチュアは、色々と尤もな形のナンセンスとなって現われるだろう。例えば科学的啓蒙と云えば科学を易しく素人に教えるためのポプュラリゼーションだと思い込んだり(之は何と退屈な通俗化ではないか)、或いは逆にそういうジャーナリズム(!)は科学の敵だと思ったり。――専門の科学という存在がもし民衆のためのものなら(アカデミシャンの神聖文化でないなら)、科学教育の問題は大局に於て素養乃至教養としての科学の教育から考えられて行かねばならぬ。
 予め注意しなければならぬのは、教育という一般的な観念である。夫が素質の掖導であるとか性格の形成であるとか人間性の陶冶であるとか、其の他其の他様々に云われている。併し之は一般の教育についてだ。科学教育では教育はどう考えられているのか。そこになるともうあまりハッキリとした常識は用意されていないようである。処が普通の教育で実際行なわれている処を見ると、少なくとも科学教育は、科学的テーゼを何かの仕方で教え込むことに他なら
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