に過ぎない。だがこうなって来ると、今日の普通教育に於ける科学教育から見れば、まるで夢のようなものだろう。だが之が夢である限り、素養教育・教養としての科学教育の、原理はどこにも見出せないだろう。依然として、専門教育の師範教育的縮小逓減再生産に止まる他ないだろう。
 この現状で一等悪いことは、生徒が科学に就いて何等の疑問を持たぬ、ということだ。と云うのは事実教科書は、科学が何か全く完成したかのような風に書いている。科学は何等の隙もない完璧なものになったように報告されている。従って之を学ぶ者は本当の意味での問題[#「問題」に傍点]を見出すことが出来ない。生徒にとって問題と云えば試験問題でしかなく、本当の問題は封じられている。今日の生徒の大多数は自然科学の学課についての問題と云えば、試験問題だと思っている。処が試験問題というものはすでに解決ずみのもので、実は問題でも何でもないのだ。之は自然を検討する問題ではなく単に生徒を検討する浅墓な教育手段に過ぎぬ。科学を学んで、科学の「問題」を知らぬと云うことは、恐るべき冒涜だ。自然と人類とに対する恐るべき冒涜なのだ。本当に問題を持たないから、稚拙ながらも
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