問題を持たぬから、探究心も生じなければ従って興味も生じはしない。――科学的精神[#「科学的精神」に傍点]・科学的識見[#「科学的識見」に傍点]は決して養われないのである。
尤も私は観点を明らかにするために、事情をわざと或る程度誇張して描写する。皆が皆までこうだと云うのでもなければ、又この通りの場合が沢山あると云うのでもない。併し私の云い度いのはこの科学的精神・科学的識見・に就いての検討が、科学教育に於てハッキリしていないという点に集中するのである。科学普通教育としての素養・教養・教育の問題はここに焦点を有っている。
男の中等学校には物理や化学の好きな生徒が多い。彼等の興味は勿論大切である。興味がない生徒に何を強いても、夫が興味自身を作興するに成功しない限り、まず無益だろうからだ。だが彼等のこの興味をあまり高く評価することは要心する必要があるだろう。彼等は物理や化学の書物や書式や実験装置や実験的行動や、つまりそういう科学的な風物に審美的に感動することも出来るのだ。又偶々夫が成績の上で得意であるというだけで、好きにもなれるものだ。興味がなければ駄目だが、併し興味を有つ者が皆真に科学を愛
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