ぬ。身体、精神、能力、性格、其の他其の他を統一した人間というものを、つまり社会の一員としての人間を、生産することである。
 生殖や出産は、生物としての人間を生産することであるが、育児から始めて学校教育、社会教育、自己教育に及ぶ所謂教育は、社会の一員としての人間を生産することである。之はただの物質の生産ではないという意味で、物の生産とは云い切れないが、併しやはり人間という現物を造ることだ。世間でよく云う「肚をつくる」とか「人間をつくる」とか、よりも、もっと現物的な現象だ。
 教育は人間の生理や社会環境に於ける自然の成長を補佐掖導するにすぎないから、別に改めて何かを造ると称するには当らないとも考えられるかも知れないが、併し人間のやる一切の生産は、凡て自然な発達や行程の補佐掖導以外に出るものではない。吾々は物質を造り出すことは出来ない。物質の形態を変更出来るだけだ。生産とは一般にそうした形態変更のことでしかない。――で、教育学も現物(社会的人間という)の生産を目標とするわけである。
 社会法則に関する科学も亦、社会を造るということが目標である。往々社会科学には実験は不可能だと云われているが、
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