いる間に金剛石が出来て了ったので、金剛石の成立のプロセスが判らなくて、遂に絶対を征服出来ずに没落するのだが、出来るプロセスが判れば、それが本当に製造出来たということである。細胞学者は、先回りして色々の疑似細胞を人工的に造っては、本物と似ていないかと比較している。之は云わば、有機的錬金術でもあろう。
もしそうなら、科学の目標を真理の認識だとする「科学論」は多少の修正を必要とする、という私の独断だ。
二 科学と生産
科学を一種の錬金術のように考えることは、最近の自然科学、特に物理学と化学とが極度に交錯した分野に於ては、常識にぞくするとも云えよう。元素の人工転換という問題、その理論、その実験はそういう意味で、自然科学発達に於ける甚だ特徴的な現段階であるようだ。
私が、科学は物を造ること、物的生産を目的とする、という一つの独断を導き出したのは、勿論自然科学のことを心に置いていたからである。併しこれは単に自然科学だけにあてはまるのではないように思う。例えば教育学である。之は一個の応用哲学や実用哲学のようにも考えられているが、それはとに角として、教育とは人間を造ることでなければなら
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