も物質を現実に造るということではないか、と考えたのである。
検証のための実験などは寧ろ一種教育的な意義さえ勝っていて、単純な意味での創造的な実験とは云えないようだ。科学とは、それでは、実は物を造るのを窮極目標とするのではなかったのか。
キュリの女婿ジョリオ夫妻が人工放射能の発見に成功したのも暗示的だ。こうやって新しい方法で元素が人工的に転換=即ち製造されて行くのだろう。そう思いながら、バルザックの『絶対の探究』を読んで見ると、わがバルタザル氏は、要するに炭素から金剛石を製造出来れば、絶対はつかまえたことになると信じている。化学は絶対「真理」を目標とするよりも寧ろ金剛石や金の製造生産を目標とする。そのための絶対探究だ。私は錬金術の新しい意味を発見したような気持ちである。
こういうわけで、この頃私は、科学の目標とは何か、ということを問題にし始めた。科学が他のものの手段になるという意味では決してないが、色々の公認された手段を用いて科学が到達して之で一まず解決、と思える頂点は何か、と考える。それはやはりどうも、問題になっている一定の物を造ることのようだ。
バルタザルは実験室を留守にして
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