問題は一定していなければならないように思われるのも亦自然であるであろう。そこで各々の領域は自己の持つ「空間の問題」を絶対的な形態と思い做し、之を他の領域に迄も強いようと試みる。物理学者は自分が対象とする空間を唯一の空間と考え、心理学者も亦自分の取り扱う空間を本来の形に於ける空間と想像し易い。けれどもこのような専門家達は、同一の問題と云われるものでも、問題にする仕方[#「仕方」に傍点]によって実は異った問題になることが出来る、ということを注意していない。なる程空間の問題は種々なる領域に共通である、けれども問題の形態[#「形態」に傍点]は別々であることが出来る。従ってこの形態に於ける問題を解くことによって結果する空間概念[#「概念」に傍点]は夫々異ることが出来る――而も空間概念という同一の名の下に。さてこの関係は何を吾々に教えるか。空間の問題は種々なる領域――それは専門的領域であることが出来る――に編入されるに先立って、それ自身の出生の地盤を持っているということがそれである(それの Heimatlosigkeit とは実は之であった)。之によって始めて空間は種々なる領域の問題ともなることが出来るのである。吾々の準備した言葉を用いて云い直すならばこうである、空間は一つの常識的概念[#「常識的概念」に傍点]である、それであればこそ或る夫々の特定の領域の専門的研究によって産み付けられることを俟たずに而もその領域の問題となることが出来る、そしてこの夫々の領域の問題となる時、空間は又専門的概念[#「専門的概念」に傍点]ともなるのである。
一定であると想像する理由のある常識的概念「空間」も、専門的概念となる時、向に示した通り、決して唯一であることは出来ない。吾々は幾つかの専門的な空間概念を知っている。第一に挙げられるべきは幾何学的空間[#「幾何学的空間」に傍点]概念でなければならない。幾何学が空間の学(数学)であるという理由によって、幾何学に於て空間と見做されるもの――幾何学的空間――を、吾々が日常その内に生活して経験している空間と同じに見ようとする人々は、それ程多くは見受けられないであろう。すでに幾何学的空間は経験的ですらない、況して吾々の云う処の常識的概念であることは出来ない。次に経験的空間[#「経験的空間」に傍点]という概念のもとに人々は異った多くのものを理解する。第一に経験し得る[#「し得る」に傍点]処の空間――之を empirischer Raum と呼ぼう。之は英知的乃至幾何学的空間ではないという意味に於ける消極的規定しか持たない空間概念である。積極的内容を有たないから之は除こう。第二に経験という認識形態[#「経験という認識形態」に傍点]に於て成立する空間――之を Erfahrungsraum と呼ぼう。もし経験を一定の法則に従って構成されたる学問的[#「学問的」に傍点]体系乃至その素朴な形態と考えるならば、経験的空間は物理的空間[#「物理的空間」に傍点]となる。物理的空間は経験に於て与えられなければならない――それは「実在的」と呼ばれる。けれどもこの意味に於ても亦、経験に於て与えられるということが常識的概念であることになるのでは決してない。事実それは一つの物理学的概念、従って正に一つの専門的概念に外ならないであろう。もし又経験を知覚[#「知覚」に傍点]と解するならば――知覚はまだ前の意味での経験ではない――経験的空間は感覚的に与えられた空間表象[#「空間表象」に傍点]となるであろう。この時空間は一つの心理学的概念に外ならない。心理学的空間[#「心理学的空間」に傍点]がたとい原始的な空間知覚と考えられる場合であっても――例えば一定の大きさを持った空間部分の表象と考えられるような場合であっても――、それを吾々の所謂常識的空間概念と呼ぶ理由を吾々は有たない。何となれば空間知覚と空間概念とは全く成立の動機を異にする二つの概念規定であるであろうから。前者は心理学に於ける専門的概念に外ならない。さてこのようにして吾々は少くとも三つの専門的空間概念を知っている。幾何学的、物理的、心理学的。常識的空間概念はこの何れでもなく、そしてこれ等の地盤となり基礎となることの出来るものでなければならない。
吾々は常識的空間概念の分析に先立って予め二つの誤解を警戒しておく必要を感じる。第一に空間概念――以下常識的空間概念を略してかく呼ぶ――は、それ自身を目的として(per se)理解されるべきであって偶然的(per accidens)に理解されてはならない。どのような概念も per se に理解出来ると共に又 per accidens にも理解出来る性質を持っている。沙翁を語るためにハムレットを語るならばハムレットは per accidens に取り扱わ
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