を――概念ならぬ何物かを――意味し、理解せしめ、把握せしめる処の概念である。例えば自然という概念[#「概念」に傍点]ではなくして云わば自然[#「自然」に傍点]に関する概念のように、この概念に於ける存在は概念ではなくして――向の構成的概念ではそれが概念であった――正に自然そのものでなければならないのである。それ故この概念によって最も広い意味に於ける実在――論理の世界から区別された実在――に関する概念が初めて成り立つことが出来る。把握的概念は実在を徴候づけることが出来る―― semantischer Begriff。この概念は、例えば自然概念として、無論自然それ自身ではなくして自然概念[#「概念」に傍点]であるのであるから、その限り論理的[#「論理的」に傍点]と呼ばれる理由はなくはないであろう。けれどももし之と構成的概念の有つ論理的とを同一視し、それによって何かの結果を惹き出そうとするのであったならば、吾々は云わねばならぬ、把握的概念は論理的ではない、と。何となればそれは構成的ではないから、そして論理が構成的である時にのみ論理的という形容詞は使われ得るのであったから。
 さて二つの概念、構成的概念と把握的概念を得た。処で前者はより専門的であり後者はより日常的である(日常的と専門的の区別は後を見よ)。吾々は日常語として[#「日常語として」に傍点]より根柢的な把握的概念を、概念として採用する。従って向に示した通り、構成的概念はさし当り概念ではない。蓋し構成的概念は把握的概念から派生し、従って吾々は之をただ派生的な意味に於てのみ概念と呼ぶことが出来るであろう――但し日常語としての概念として。術語としての概念としては構成的概念がより根本的であるかも知れないが。
 併し概念(把握的概念)は理解(把握)によって説明される約束であった。

 理解(把握 Greifen)と概念(Begriff)とは勿論一つではない。けれども仮に把握を時間的に起こる一つの働きに譬えて見よう。その時概念は第一にこの把握という働きの結果[#「結果」に傍点]に譬えられることが出来るであろう。把握されて得た処のもの、それが概念――把握的概念――と考えられる。白い物が、白い物の概念として、即ち白い物として、把握された[#「された」に傍点]場合が之である。第二に概念はこの働きの出発点[#「出発点」に傍点]に譬えられ
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