数だけの幾何学を区別しなければならない筈である。併しながらそのようにして得る分類は縦え論理的には正当であるにしても、その故に直ちに幾何学に対して本質的であるのではない。私はそれ故本質的な分類へ達するのに便宜な手段として特に以上の分類を選定しなければならなかったのである。
 射影幾何学から計量幾何学へ移るに当って加えられた公理群は合同、連続及び平行線のそれであったが、第一に線又は角が合同であるとは何を意味するか。例えば二つの線が等しいという時吾々は両者を重ね合わせて見る外にこれを確める根拠を有たぬ。然るに重ね合わせるとは一を他へまで重ね合わせる運動を含まぬわけにはいかない。素よりヘルムホルツに従ってこの運動を経験界に於ける物体の運動と同じに見ることには多くの危険が伴うであろう。数学の要求は寧ろこのような運動の概念を除外して例えばシュタイナーの構成法の如きものを用いて純幾何学的に同等を定義することに努めるであろう。それ故運動とはこのような意味に於ける観念的運動と考えられるのが正しい(〔Weber−Wellstein, Enzyklopa:die, II. S. 20, etc.〕)。かかる
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