驕B併し無論逆に純粋直観が凡て空間表象であるのではない。例えば時間のようなものも純粋直観であるかも知れない。空間表象はどのような純粋直観であるか。意識が何であるか外的世界が何であるかは困難な問題であろうが、少くとも両者の間に何か一義的な区別のあることは誰でも認めなければならぬと思う。今この区別を内界と外界という言葉を以て云い表わせば空間表象が外界に関わることは明らかである。空間は外的な純粋直観でなければならぬ。Hinschauen(フィヒテの言葉)と云うことが出来る。先ず空間直観の概念を茲まで決定することが出来ると思う。ロッツェが空間表象を外的直観と呼んだのは之に相当すると解釈出来るであろう。処が彼は向に引用した文章の示す通り、この空間表象をば無条件に承認せねばならぬものと主張する。即ち空間は根源的な純粋直観でなければならぬ。吾々は空間表象に就いて語る時には先ず空間表象そのものを予想しなければならない。無論この予想を証明しようとすることは――ヘルバルトやベーンが試みて失敗したように――不可能である。併し予想を証明するということと、予想を予想として承認し而る後にその予想が何を意味するかを説明するということとは全く別である。であるから空間の根源性という予想を証明しようとすることが失敗に終ったにしてもその故にこの予想を何かの意味に於て説明するということまでが不可能に終る理由はない。吾々が或る何物かを予想する時少くとも吾々がその予想を採らねばならなかった所以を justify 出来るのでなければならぬ。単に空間を予想しなければならぬと云うばかりではなく更に何故に之を予想しなければならぬか、云い換えれば予想そのものがどういう意味を持っているか、を云い表わす仕方を発見することが必要である。空間表象の根源性を説明し得るもの――証明し得るのではない――はカントの観念論に外ならない。カントによれば空間は外観の形式、外的直観の形式である。という意味はカント学徒の云う通り空間が外界成立の規範であり範疇であるということである。併し範疇であると云ってもカント自身の云っている通り空間がカント自身の意味した範疇であるというのではない。空間は直観である。即ち思惟――悟性――ではない。然るに範疇は悟性概念に外ならない。それ故空間が範疇であるという意味は、空間は直観であることそのことによって範疇として
前へ
次へ
全40ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング