に来るか」に傍点]を示そうと企てたのでは決してない」と(S. 321−2, Mitteilung Lotze's)。之を見ると問題は空間内の定位と空間表象とが同一であるか否かにあることは明らかである。併し之を一般的に決定することは今の場合は必要がない。ただ次のことだけは確かである、即ちロッツェ自身が両者を区別した以上之を同一と考えることはロッツェに就いての解釈としては正しくない、と。事実ロッツェは『形而上学』に於て非空間的な心理要素から空間表象の一般的な性質―― Nebeneinander ――を導き出すことが不可能であるのを主張し(シュトゥンプフがロッツェに於て求めているものが正にそれの可能性である)、もし非空間的な雑多を空間として把握する能力を与えられてあるものと仮定すれば、第二の課題として定位の問題を解決することは可能である(Metaphysik, S. 232―Ph. Bibl.)と明言している。即ちロッツェの局所徴験は空間表象の発生の説明を目的とするものではなくして、ロッツェは却って根源的な空間表象を基礎としていることを之によって意識しているものである。ロッツェの本来の主張はシュトゥンプフの解釈とは正反対に空間の根源性――シュトゥンプフ自身の求めているもの――そのものにあるのである。シュトゥンプフは又カントの空間説に対しても彼特有の批評を与えている。空間の主観性、主観的ならぬ表象はないのであるから、空間の特別な主観性、之はカントに於て何処に現われるか。シュトゥンプフによれば一般に表象に就いて次の三つのものを区別することが出来る。即ち表象される内容、表象作用、並びに表象成立の条件。第二の表象作用とは精神の働き方というようなものを指す。例えば感覚内容をば精神が働いて空間に順序立てる場合にはこの働きが所謂作用に相当する。併し空間的順序そのものが空間であるのではない。空間とは空間的順序の根柢(Fundament)でなければならぬ。それ故縦え空間的順序が表象作用に依るからして主観的であると云っても、空間的順序そのものの根柢となる空間が主観的であるということは何処からも出て来ない。次に空間は空間表象成立の単なる条件でもない。空間自身が表象されるのでなければならぬ。吾々は空間を直観するのである。それ故条件が主観的であっても空間を主観的と考える理由はない。それでは最後に表
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