junktieren)されることはこの分類が到底必然的でないことを示しているものに外ならない。更に又群による分類法は例えば射影幾何学から出発して一切の幾何学をその Modifikation として導き出す方法に外ならないが、一切の幾何学が射影幾何学であるならばそこには何の分類も与えられはしない。一切の幾何学が或る一つの幾何学に帰するということは幾何学の分類とは問題が別である。射影幾何学に於けるこの関係は反径幾何学(Geometrie der reziproken Radien)に就いても全く同様に指摘されると思う(〔F. Klein, Vergleichende Betrachtungen u:ber neuere geometrische Forschungen, §6, 7〕 参照)。こういう理由からしてクラインの試みた分類法はそのどの着眼点に於ても本質的であったと云われないであろう。併しこのことはこの分類方法が数学自身に於ても本質的ではないということを意味するのでは決してない。数学者は幾何学を論じるに当って幾何学以外の数学の眼を以て之を見る着想の自由が与えられていなければならぬ。ただ私の問題は幾何学が他の数学から区別される処の特徴を見出すことそのことであるのを忘れてはならない。それ故このような麗しい分類法も数学のテクニックに属するのであって、吾々がそれから直接には得る処が少いということは当然であると云わねばならぬ。
解析的に対するものは総合的である。今総合判断一般と数学的総合判断との区別は後者の基に公理が潜んでいるという点にある。幾何学を総合的に取り扱って分類するにはそれ故各々の幾何学の基礎に如何なる公理が横たわっているかを見定めることが最も正当な道であると云わなければならない。ヒルベルトはその『幾何学の基礎』に於て、結合、順序、合同、平行及び連続の五つの公理群を区別した。私はまずこの公理群に依って幾何学の一応の分類を試みようと思う。連続の公理にはヒルベルトによればアルキメデス公理と完備の公理とが含まれ両者を合せれば所謂デーデキント公理を得る(S. 23)。この公理の上に立つ幾何学はリーマンに始まりクライン等によって発展された位置解析(Analysis situs, Topologie)に外ならないと普通云われている。線、面、立体等の結合(Connexus)
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