は一切の幾何学を残りなく分類することが出来る(〔F. Klein, Elementarmathematik von ho:heren Standpunkt aus 2. Kap. III〕)。併しながら第一に解析とは何か。今の場合この概念は無条件に導き入られてあるのであるが私は之を吟味しなければならない。普通数学の対象に数が導き入れられる時かかる数学を解析と呼ぶとも考えられるが、数は例えば有理整数論などに於てのように算法(Operation)を有つものの単なる符号と見做されることもある。併しもとより吾々は符号の算法を解析的とは云わない。即ち数が diskret と考えられる限り之によっては解析は生じて来ない。解析的とはそれ故数の連続が導き入れられる時の方法であると考えなければならない。処が数の連続が導入されるということは幾何学に於ては座標が与えられることに外ならない。向に挙げた変換式のxyz等とは実は座標軸を意味していたのである。勿論このような表現式は実際の座標を必要とはしないものであって単に「形式的」な現わし方に過ぎないとも云い得るが、もし凡ゆる意味に於て座標と関係のないものならばこのような表現式は全く理解し得ない無意味な関数関係に終って了う筈である。それが無意味でないためにはそこに座標が予想されていなければならない。解析的とは幾何学に於ては座標的ということである。空間と数とが直接に対応することである。さて凡そ分類の原理は偶然的であってはならぬ。分類されるべきものの本質に根ざした原理によってのみ分類なるものも許される。然らば座標は幾何学に本質的であるか、数は幾何学に欠くことの出来ない内容であるか。今座標を用いない幾何学乃至数の概念を含まない幾何学の存在を指摘することが出来れば之に対する答は明白である。曰く射影幾何学。それ故解析的方法によっては幾何学を本質的に分類することは出来ない。第二に向の解析的方法は群を通じて行なわれたが、群の概念を借りて試みられた分類と考えても決してそれは本質的ではない。何となれば後に明らかとなるように幾何学は群を以て尽すことの出来ない内容を有つからである。且又射影群に無窮遠要素を付加して類同群を得更に又球円を付加して主群(Hauptgruppe)を得、このようにして種々なる幾何学が分類されるのであるが、このような偶然な要素が偶然に付加(ad
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