と同じではない。何となれば後者に於ては数と要素とが幾何学的な乃至は他の如何なる数学に固有な手続きにも依ることなくして直接に対応する。数と直線との対応に於て吾々が先験的に許さねばならぬものはこのような直接さである。然るに前者に於ては対応は決してこのような意味に於て直接ではない。多くの数学者が注意するようにそれが一定の幾何学的な構成を通じて始めて持ち来されるのであるからその対応は間接であると云わなければならない。処が向に計量は後者の場合の如き直接の対応に外ならぬことが明らかとなっている。従って前者の対応は質的となる。射影的座標は質的である。射影幾何学が計量幾何学を含むとは唯だこの質的な座標を通じてのみであると思う。然るにポアンカレは射影幾何学が直線の概念に基く故に質的ではないという、「計量によらない限り、即ち尺度と呼ばれる道具を線の上に滑らせるのによらない限り、その線を直線と確定することは出来ない。尺度とはとりも直さず計量の道具なのである」(〔Dernie`re Pense'e, p. 58〕)。即ち直線は計量によって始めて曲線から区別されるからして量的であると主張する。併し明らかに射影幾何学は直線と曲線とを区別して特に直線をその基礎に置くのではない。茲に必要なものは直線ではなくして異なる線である。二点によって一義的に決定される要素之が線である。併し又吾々はこの線を特に曲線と考える理由を何処にも持っていない。それは或る意味で矢張り直線と考えられる理由はあるであろう。けれどもその故に量的であるのではない。このようにして射影幾何学が量的と考えられる根拠は何れも薄弱である。射影幾何学は質的である。それ故之は又純粋幾何学或いは総合幾何学の名を以て呼ばれているのである。
向に明らかにしたように位置解析(Topologie)は連続の公理の上に立つ。然るに又其の後に連続の公理の導入が計量幾何学の成立する一つの条件であることも明らかとなっている。従って位置解析は量的であると考えられるかも知れない。併しながら私は連続の公理の導入が何故計量幾何学の成立となったかをもう一遍思い出して見る必要がある。即ち合同の公理が数体系の導入を意味し従って数連続体の導入を意味したが、この数連続体の導入を云い表わすものとして、そして唯だその限りに於て、連続の公理が見出されたのであった。それ故この場合の連続の
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