映画芸術と映画
   ――アブストラクションの作用へ――
戸坂潤

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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)文化的[#「文化的」に傍点]
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 今日普通映画と呼ばれているものは、大体映画芸術のことである。厳密な意味に於て芸術としての価値があるなしに拘らず、ともかく芸術という部類に入れて然るべき映画を指すのである。勿論「芸術映画」というような意味ばかりではない。尤も例えば「文化映画」というものを芸術映画に対するものと考えることも出来るなら、文化映画は必ずしも映画芸術ではないから、結局芸術映画などが映画芸術の代表者のようなものとなるが、併したれとしても所謂芸術映画だけを以て映画芸術の全般を尽すことの出来ないのは、あたり前である。
 私は所謂「文化映画」という観念について、よく理解出来ない点を発見する。之は文化映画――つまり文化的内容を盛った映画――というよりも、寧ろ文化政策の手段としての映画という意義の方を余分に有っているのではないかと思う。而もそれが、所謂「宣伝映画」というような露骨な意図暴露を伴わない処の、そういう
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