意味で初めてそれこそ文化的[#「文化的」に傍点]な映画のことであるようにさえ思われる。そしてその実際の内容から云うと、主な教育材料風のものが多いらしいから一種の「教育映画」ということが出来るかも知れない。ただ教育映画としても修身風の教育目標教育方法ではなくて、科学的理科的教材のものが多いらしいから、一面また「科学映画」であると云っていいかも知れない。一種の教育映画にせよ、又一種の科学映画にせよ、とに角それが文化政策上の線に沿うていることが特色であると考えられるが、併し文化政策として見れば、之は仲々高級な文化政策の観点に立つものと云わねばならぬ。科学映画風の材料などを使って文化的政策を遂行する一助にしようというのは、手近かな文化政策の能くし得る処ではないだろう。
文化映画というものに、だから私は容易に心を許さないのであるが、それと共に、そこに見えかくれしている映画の或る計り知るべからざる能力には注意を怠ってはならないと考える。と云うのは、文化映画というものの現在の現実が何であるにしても、少なくともそれは所謂芸術映画のようなものとは対極にあるものだということは疑えないのであり、従って或る
前へ
次へ
全13ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング