でニュース映画のことを考えて見ても、映画が決して芸術につきないことが判る。
 こんなことは判り切ったことのように見えるが、併し仮にこの関係を文学の問題に比較して見ると、意外な問題を孕んでいることがわかる。と云うのは映画ニュースは云わばルポルタージュ文学又はルポルタージュに比較することが出来なくはない。すると映画芸術対ニュース映画(映画ニュース)の関係は、従来の普通の文学作品対ルポルタージュ文学乃至ルポルタージュの関係と平行しているようにも見える。処がここでは文学とルポルタージュとが甚だ厄介な関係に立っているのである。ただのルポルタージュは勿論「文学」ではないのであるが、併しルポルタージュが真実[#「真実」に傍点]な角度を持つためには、少なくとも文学的[#「文学的」に傍点]でなくてはならぬ、と云うことは出来る。ルポルタージュ必ずしもルポルタージュ文学ではないが、併し本当のルポルタージュが文学的でなければならぬとすれば、一体ルポルタージュとルポルタージュ文学との区別は、どこにあるか。無理にフィクション化したのがルポルタージュ文学の方で、フィクション化したりお咄化したりしないのがルポルタージ
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