論健全なことだ。だがそれが映画理論の原則の出発点となってはならぬ。吾々の問題は、一般に芸術や娯楽というものの認識理論上の意義を的確に把握することになくてはならぬ。映画はそのための最も有望な対象なのだ。
併し実は、映画の機能は大体に於てすでに広く知られている。抑々の処は、今更事新しく私が説明するまでもない。かつて私は多少理論的に之を説明しようとした。そこでは風俗との結合が特徴あるものと見られた。映画の物理的機能が風俗というような社会的要因と直接結びついていることを認識理論的に指摘した。だがそれはそれとして、他の方向に於て認識理論上興味のあるのは、映画に於ける「アブストラクション」の作用であろう。
アブストラクションは一切の認識に於ける根本作用の一つである。科学が之に基くことはあまりに知られすぎているために誤解を招いてさえいる位いだ。と云うのは、科学は芸術とは異って抽象的である、と云った風な俗説を産んでいる。だが芸術こそ又最も抽象的なものだ。之なくしては文芸に於けるスタイルなどは無意味になるし、絵画などは成立しない。ただその抽象=アブストラクションの相違が、科学と芸術の区別、芸術の内に
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