。で存するということにはならぬ。算術的方法は代数的方法に、そして代数は微積分法にまで進歩[#「進歩」に傍点]したのだ。三つは実は一つの方法の発展段階の相違にしか過ぎぬ(一切の数学は計算=算術に還元されるとも考えられる)。――処が社会科学では、夫々の方法が一つの永久な建前を、主義[#「主義」に傍点]を、意味しているのが今までの事実なのである***。そしてこの主義としての[#「主義としての」に傍点]方法なるものは全く、社会階級性として集中的に表現される処の、社会科学の例の社会に於ける根本的宿命から来るのである(科学の社会による制約一般に就いては後に見よう)。
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* ニュートンの物理学と微積分の観念が当時の技術的条件と密接な関係があることに就いては『岐路に立つ自然科学』(唯物論研究会訳・大畑書店版)の中のヘッセン「ニュートンの『プリンシピア』の社会的及び経済的根柢」を見よ。――デカルト幾何学と資本主義、フランス十八世紀末の数学物理学とフランスの技術(主に戦争に関係する)的水準との関係、其の他の、「数学の階級性」に就いての例証は、小倉金之助氏が『思想』誌上で研究を発表している。
** ニュートンに関する研究が、十八世紀の啓蒙主義者・自由思想家・唯物論者の最も好んだテーマであったことは、すでに触れた。
*** 社会科学の方法の分類に関する文献は決して少なくない。否、殆んど凡ての社会科学の著書が、各種の社会科学的方法の比較と批判とから出発しなければならぬと云っていい。そしてその最も戯画的なまでに甚だしいのは、今日のブルジョア「社会学」だろう。「社会学」に於ける諸方法の区別に就いては、新しい段階では、L. v. Wiese, Soziologie(Sammlung 〔Go:schen〕)と H. Freyer, Einleitung in die Soziologie とを挙げておこう。――なお早瀬利雄『現代社会学批判』参照。
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社会科学一般[#「一般」に傍点]の諸方法の歴史的比較と批判とに就いては、J. Valdour, Les 〔Me'thodes〕 en Science Sociale, 1927 が便利である。――なお各領域別に於ける社会科学の諸方法を叙述したものとしては、E. Seidler, Die sozialwissenschaftliche Erkenntnis (〔Ein Beitrag zur Me'thodik der Gesellschaftslehre〕) 1930 がある。
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吾々は元来、自然科学と社会科学との両者に就いて、それに共通のそして夫々に於て相異った事情の下に用いられる処の、一般的方法[#「一般的方法」に傍点]の諸契機を分析しようとするのだが、それに先立って、社会科学だけに関する方法理論を予め見渡しておかねばならぬ*。――尤も社会科学的方法の建前上の分裂は、云うまでもなく夫々の科学の背後に控えている哲学そのものの方法(従って又世界観)の分裂に略々照応している。例えば所謂「社会学」(ブルジョア社会学)はコント的実証主義のものであるし、マルクス主義的社会科学は弁証法的唯物論のものである。カント主義的批判哲学からはR・シュタムラーの法律学やM・アードラーのカント的唯物史観やメンガーの経済学方法論が発生するし、ディルタイの解釈哲学は例えばE・カレルや我が国では高田保馬氏の社会科学方法論などに根本的に影響している**。等々。だが哲学の諸方法の対立に関する分析は、今の場合のテーマとしては広範に過ぎるし、問題を別な処へ持って行かなければならなくなるので、省略する他ない。
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* P・アンドライは、諸科学、特に自然科学と社会科学とに共通な一般的方法があるとする立場を、方法論上の一元論と呼び、A・リールやJ・S・ミル、E・デュルケム、K・マルクスなどを之に数えている。之に対して、方法論上の二元論を採る例は、R・シュタムラーやG・ジンメルの場合だという(P. Andrei, Das Problem der Methode in der Soziologie, 1927)。――だが方法論上のこのような二元論が、今必要な科学論としては、不統一極まるものであることを、私は「三」に於て見た。
** E. Carell, Wirtschaftswissenschaft als Kulturwissenschaft, 1931 は主として「理解経済学」なるものの説明を与えている。この理解経済学[#「理解経済学」に傍点]は、純粋な理論経済学と全く無関係なものだというのである。――高田保馬氏は、理論的社会科学の性質、特に理論経済学の性質を、一種の「本質学」と見るのだが、処がこの本質は却ってかの「理解」なるものを離れては得られるものではないという。之はM・ヴェーバーの理想型(Idealtypus)にも準ずべき(尤も理想型は経験的な成立を有つ点で之とは異っているが)「本質的定型」なのだ、というのである(『経済学方法論』・改造社版『経済学全集』第五巻)。――だが一般に理解なるものの認識方法としての根本欠陥も、すでに私は述べた。
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社会科学の方法に於ける根本的な――建前から来る――対立は、ブルジョア社会科学一般[#「一般」に傍点]による方法と、プロレタリア的社会科学(マルクス主義社会科学)による方法との、根柢的な対立となって、最も代表的に、そして露骨に、現われる*。尤もすでに先程述べた通り、ブルジョア社会科学の方法は、それ自身甚だ分裂したものだったから、ブルジョア社会科学一般の方法[#「一般の方法」に傍点]というものは、具体的には掴み難いのが事実であるが、併し他方に於て、マルクス主義的社会科学の方法は、殆んど一義的に一致したコースを踏んで発達して来ているので、之に対比して、之と根本的に対立する所以に従って之を一纏めにすることによって、間接にこのブルジョア社会科学の一般的[#「一般的」に傍点]な方法を浮き上らせることが出来るのである。
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* プロレタリア社会科学と呼ばれる意味は、一般に「プロレタリア科学」という言葉に於てと同じく、単にプロレタリアという階級的主観が所有し又は所有し得べき、そしてその階級主観の利害から出発しその利益に奉仕する、社会科学というだけではない。社会科学なるものがプロレタリアの階級主観に立脚する大衆や専門家によって初めて、真の唯一の[#「真の唯一の」に傍点]社会科学となり得るし、又現にそうなっているという、論理的な権利を云い現わす言葉なのである。――ブルジョア社会科学という言葉も亦之に準じて理解される。但しこの場合には、社会科学がブルジョアジーの代弁者によって歪曲[#「歪曲」に傍点]されて、真の社会科学としての科学性を喪失するという、失権の宣言を云い表わすのだが。
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さて、このプロレタリア的・マルクス主義的・社会科学の、一義的な唯一の、即ちそうした意味で客観性を有った、即ち又科学性を具えた、方法が、史的唯物論[#「史的唯物論」に傍点](唯物史観)であることは、今日広く大衆的に知られている処だ。そして之は、弁証法的唯物論[#「弁証法的唯物論」に傍点]の、歴史的社会に関する限りの一部分に他ならなかった*。尤も、弁証法的唯物論も、史的唯物論も、夫々単に理論(科学一般)と社会科学との普遍的な方法[#「方法」に傍点]であるばかりでなく、その背後に横たわり又はその前面に押し出される処の世界観[#「世界観」に傍点]のことでもあるし、又この科学一般(理論)乃至社会科学が有つ科学的世界[#「科学的世界」に傍点]の具体的な理論内容そのものをも意味する。云うまでもなく一般に科学の方法は、どういう場合でも、そうした科学の内容やそれと裏表をなす世界観とから、切り離されて孤立してはあり得ない筈だった。だが、方法が科学の内容――科学的世界――や世界観と結びついているこの統一連関の関係を、最もよく忠実に尊重しているものが、史的唯物論(乃至弁証法的唯物論)なる、社会科学乃至科学一般のこの方法なのである。と云うのは、ここではその方法と実在[#「実在」に傍点]そのものとの本来の認識関係が(夫は模写とそれに基く構成とであった)、今云ったこの統一関係をば、嫌やでも強調せねばならないように仕向けるからである。弁証法と云い唯物論と云い(尤も両者は終局に於て一つのものに帰着する)、実在と認識との本来的な関係を強調するものの他のものではなかったからだ。
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* マルクス主義的社会科学の方法をそれ自体として[#「それ自体として」に傍点]取り出したものは、何よりもマルクス『経済学批判』序説(河上・宮川訳)である。と云うのは、『資本論』を初めとして、マルクス・エンゲルス・レーニン・其の他の基本的意義のある著述や文章の一切が、いずれもこの方法を具体的[#「具体的」に傍点]に語っているのだから。――比較的方法論に重きをおいた史的唯物論の解説としてはA・コーン『プロレタリア経済学の方法論』(村田訳・叢文閣)や、アベズガウス・ドゥーコル『弁証法的経済学方法論』(岡本・稲葉・訳・白揚社)を挙げることが出来る。――なお相川春喜『歴史科学の方法論』はマルクス主義的歴史科学は「広義の」経済学と同じ対象をもつものだと主張している。マルクス主義的社会科学からブルジョア「社会学」を批判したものとしては、アクセリロート・オルトドクス女史『ブルジョア社会学の批判』(永田訳・南宋書院発行)や、A Lewis, An Introduction to Sociology(高畠訳『社会主義社会学』・改造社)などが、一応の参考になる。なお拙著『イデオロギー概論』〔前出〕参照。
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で、ブルジョア社会科学一般の方法は、この史的唯物論に対立する限りに於て、一纏めとなって共通性を持つのである。つまり唯物論と弁証法という普遍的な方法(或いは寧ろ一つの方法の二つの契機)の、この二つの契機か、又はどれか一つの契機かに、対立することが、ブルジョア社会科学の方法の共通な特色になるというわけである。だが、――こうなると之は二つの範疇組織[#「範疇組織」に傍点]=範疇体系[#「範疇体系」に傍点]の間の対立になる。方法[#「方法」に傍点]なるものの最後の意味が、論理[#「論理」に傍点]にあり、その意味に於ける範疇組織にあるということを、吾々はすでに述べた。唯物論に対立する範疇組織は、まず事物の歴史的過程の実際的な分析[#「実際的な分析」に傍点]の代りに、事物の有つ意味相互間の関係を意味解釈[#「解釈」に傍点]するための範疇組織である。之が今日広範に観念論と呼ばれるものの第一の規定で、之に帰着する社会科学的方法の最も代表的なものは、ディルタイ系統の解釈学的歴史学や「理解経済学」の夫などであった。第二に夫は、観念的主観主義[#「主観主義」に傍点]の範疇組織である。限界効用説乃至オーストリア経済学(心理主義・感覚測定論・其の他を含めて*)や、所謂唯心史観(ランプレヒトや通俗の精神史主義)などの方法がその例である。
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* オーストリア経済学の方法に対する批判はN・ブハーリンが与えている(N. Bucharin, Die politische Oekonomie des Rentners)。
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観念論は第三に、広義に於ける形式主義[#「形式主義」に傍点]と原則的なつながりを持っている。形式主義的範疇組織の代表者がコント以来のブルジョア社会学であることは広く認められている処であり、その典型的なものが所謂「形式」社会学なのである。カント主義的社会科学(例・シュタムラー・フォ
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