窒汲撃奄モkeit, S. 139 ff)、それについては拙著『科学方法論』〔前出〕に譲る。
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 歴史学に於ても普遍的な法則が支配しなければならないと称して、リッケルトに対立したものは例えば歴史家のK・ランプレヒトである*。歴史は一般的な心理法則[#「心理法則」に傍点]によって支配されるというのである。之は全く云わば唯心史観に立脚するものであるが、ブルジョア歴史学でもっと遙かに客観的な普遍的歴史法則を提唱しているものは、マイアーだろう**。もし普遍的な法則が歴史科学に於ても成立しなければならないとすれば、リッケルトの所謂文化科学の観念は、可なりの根本から顛《くつがえ》らざるを得ないわけで、従って自然科学と文化科学との区別対立も撤廃されて、問題が再び元にもどって了うか、それともこの単なる区別対立を乗り越えて、両者か又は之に相当する何かの二つ(以上)の科学の間の、実質的連関が見出されねばならぬか、どちらかになるのである***。
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* K. Lamprecht, Moderne Geschichtswissenschaft, 1905(和辻訳あり)、〔Einfu:hren in das historischen Denken〕, 1912 等。
** E. Meyer, Zur Theorie und Methodik der Geschichte を見よ。
*** リッケルトは歴史学に於ける法則の問題に因んで、個別的因果[#「個別的因果」に傍点]の概念を提出している。――尤も之によって、自然科学と文化科学という例の機械的な対立物は到底関連づけられはしないのであるが。――この問題に就いては、G. Simmel, Die Probleme der Geschichtsphilosophie を見よ。――なお歴史学の方法の変遷に就いては E. Bernheim, Einleitung in die Geschichtswissenschaft(Sammlung 〔Go:schen〕)参照。
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 リッケルトが与えようとして果さなかった文化科学乃至歴史学に就いて、一応は最も卓越した方法論を示したものは、却ってW・ディルタイである。ディルタイの歴史学乃至精神科学[#「精神科学」に傍点]の理論は、特定の学問上の伝統を背景としている。と云うのは、その精神科学の方法は、文献学[#「文献学」に傍点](Philologie)乃至解釈学[#「解釈学」に傍点](Hermeneutik)に他ならないのである。文献学(或いは古典学[#「古典学」に傍点])は、世間で普通、言語学[#「言語学」に傍点]と訳されている言葉であり、実際、それがギリシアで始まった時には文法学であったのだが、併し十八世紀後半に及んで、F・A・ヴォルフの学派によって、初めて一応古典語の意味を受け取るようになった。之は古典語学と古典語の解釈法とを意味したのだが、後に之はやがて古典そのもの乃至古典的文書の解釈法となり、更に独り文書に限らず広く古典的造形芸術さえもの解釈法となり、更には独り過去の古典に限らず夫々の同時代の文書及び一般文化の解釈法にまで転化した(他方の系統としては近代的な比較言語学として発達するが)。
 こうなる時、この解釈法が解釈学という文化乃至精神の解釈のための方法論[#「方法論」に傍点]を意味して来ることは当然で、文献学を文化のこうした一般的な解釈学にまで高めたものは、シュライエルマッハーであった*。処でそこに恰も歴史学[#「歴史学」に傍点]の方法という課題が結びつくのである。歴史学の方法論を文献学乃至解釈学の内に見出した最初の段階は恐らくW・v・フンボルトであろうが、之をハッキリと意識的に前面に押し出したものはドロイゼン(J. G. Droysen, Historik)である。ディルタイの歴史学乃至精神科学の方法論は、ここに基くのである**。
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* W. Schleiermacher, 〔Akademierenden u:ber Hermeneutik.〕――なおシュライエルマッハーの後輩 A. Boeckh の 〔Enzyklopa:die und Methodologie der philologischen Wissenschaften〕 は注目すべき書物である。
** ディルタイについては全集第七巻、Der Bau der geschichtlichen Welt in den Geisteswissenschaften を見よ。――なお文献学の現代に於ける意義に就いては、拙著『日本イデオロギー論』中の「文献学的哲学の批判」〔前出〕を見よ。
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 さて、ディルタイによれば、精神科学乃至歴史学なるものは、人間生活[#「人間生活」に傍点]を理解[#「理解」に傍点]することをその認識目的としている。人間生活の特色は併し、精神[#「精神」に傍点]になくてはならぬ。と云うのは、精神は単に心理的な主観的な意識や心のことではないので、却って或る意味に於ける客観的な実体であり、自然と社会とに沿って文化として歴史的に展開する処のものを指す。夫は他でもないので、文化という人間的な意味[#「意味」に傍点]を持った処の客観的対象なのだ、というのである。処で云う迄もなく、この云わば客観的な精神は、人間個人の主観的な精神自身と離れたものではあり得ない。人間の生活とは、人間が自分の精神を客観化して表現[#「表現」に傍点]する処の生活のことだ。人間的生[#「生」に傍点]は常に客観化されることによってしか具体的な形象を受け取らない。こうした表現の世界が、歴史というものの世界(精神)のもつ意味なのであると考える。
 そこでこの人間生活を理解[#「理解」に傍点]するためには、すでに客観的に歴史的文化として表現されたこの人間生活を、今度は逆に再び主体化[#「主体化」に傍点]されなければならぬ。生は生みずからに帰ることによってしか理解出来ない。人間的生・歴史・文化の意味を、こうした表現の夫々の持つ意味を、人間的生活自身[#「自身」に傍点]が理解するのである。――だが、理解するには、ただの印象的な直覚や単に一般的な理性や何かでは、何等その客観的な根拠を見出し得ない。そこで必要なのが解釈[#「解釈」に傍点]である。表現物のもっている意味を理解するとは、之を一定の手続きに従って解釈することだ。処が、この解釈の手続きとは他でもないので、之こそ例の解釈学(乃至文献学)だったのである。――かくて歴史学乃至精神科学の方法は、解釈学であり、即ち人間生活を人間生活自身から自己解釈することによって、理解するという、特有な方法なのである。
 だが解釈するとは一体どうすることであるか。ディルタイによれば、少くとも之は、説明[#「説明」に傍点]することとは別であり、又之とはハッキリと対立する処の作用なのである。説明の何よりの特色となるものは、原因と結果との連鎖を与えることだ。つまりそうした因果的な時間的な統一を事物に向って与えることである。処が解釈はそうした因果関係[#「因果関係」に傍点]を求めることを目的とはしない。その代りに解釈が齎すものは、諸事物の内部相互の間に横たわる構造連関[#「構造連関」に傍点]なのである。因果関係のような機械的関係は、生きた精神、生きた歴史、の認識の方法とはなり得ない。歴史は説明されるべきではなくて解釈されるべきだ、というのである。
 因果関係は、云うまでもなく自然科学の認識目的の内容をなす。ディルタイによれば、今日の自然科学は自然を解釈理解するものではなくて、全く之を説明するものである(自然の解釈[#「自然の解釈」に傍点]というものがあるとすれば、夫はアリストテレスの『物理学』のようなものだろう、とディルタイは云っている。ベーコンも亦新しい「自然の解釈」を哲学の根本テーマとした)。――かくてディルタイによれば、自然科学と精神科学とは、その方法に於て、完全に相異り相距たっている。だから例えば、自然科学では真理の一義的な厳密な決定を与えることが出来るに反して、精神科学では高々卜占的[#「卜占的」に傍点](divinatorisch)な予言や推定しか出来ないという。
 ディルタイの精神科学の方法論が、今日如何にブルジョア観念哲学の直接の支柱となりつつあるかに就いては、省こう。リッケルト的科学方法論が、一頃、ブルジョア的傾向を持った殆んど総ての科学に侵入したように、ディルタイ的解釈学は、今日の超科学的乃至反科学的形而上学の共通の合理的根拠となっている。――だが今それよりも重大なのは、ディルタイによっても、丁度リッケルトに於てそうだったように、自然科学と精神科学という二つの科学部門が、全く絶対的に対立した二人の他人として提出されているという点である。二つの科学はここでも亦、単に区別・対立させられるだけで、両者間の連関構造は少しも積極的に明らかにされてはいない。ディルタイの精神科学の方法論は、リッケルト等の文化科学の観念が云い表わそうとして云い表わせなかった処を、最もよく又適切に云い表わしているのだったが、それだけに、愈々これ等の科学と自然科学との連絡が、機械的に断ち切られて了っているのである。

 で以上見たように、リッケルトの所謂文化科学[#「文化科学」に傍点]の観念を使っても、ディルタイの精神科学[#「精神科学」に傍点]の観念を使っても(ヴントの心理学としての精神科学などは云うまでもない)、科学全般[#「科学全般」に傍点]の統一的[#「統一的」に傍点]な理論は成り立つことが出来ない。而もこの二つは、現代のブルジョア哲学に於ける科学方法論の殆んどただ二つの代表者だったのだ。
 こういう乱雑はどこから発生したか、それは、単に方法[#「方法」に傍点]だけによって科学を規定して了おうとする処からであった。方法は単にそれだけとして見れば、既に見たように、主観の能動的な構成作用に他ならなかった。之を唯一の科学規定の(科学の分類の・又科学的世界の)標識とすることは、それだけ科学を主観側から、その意味で観念的に、限定して了うことを意味する。科学は元来実在を反映するものだった。その反映の手続きとして初めて主観による方法もその権利を有ったのであった。処が所謂「科学方法論」によれば、科学は専らこの主観的な方法の中に解消して了う。科学の分類も亦そうでしかなかった。
 尤もディルタイはリッケルト程に、徹底的な方法主義者ではないように見える。彼は科学の方法に就いて語るに先立って、「歴史的世界」に就いて語る。そしてこの世界から歴史学の精神科学的方法を導き出す。だからそのやり方はリッケルトの場合を逆に行くものだろう。だが、この肝心な「歴史的世界」が自然界や其の他の世界とは何等の連関[#「連関」に傍点]に(「構造連関」に!)這入っていない。自然界が持っている宇宙的時間、そこに因果の必然的な連鎖が脈打つと考えられる自然の時間は、この歴史的世界の「構造連関」のどこに影を潜めて了ったのだろうか。自然の方は解釈されただけでは不充分であるのに、人間社会の歴史だけが、なぜ単に解釈されただけで、事が済むのだろうか。自然と歴史的社会とをこのように全く秩序界[#「秩序界」に傍点]の異った地上と天国とのように分離することは、現代のこのブルジョア社会に対する認識という点から見て、並々ならぬ意味のあることだ。
 併し、「科学方法論」が示す右のようなチグハグは、案外卑近な所にそのメカニズムを持っているとも考えることが出来る。というのは、「科学方法論」の習慣は、いつも自然[#「自然」に傍点]科学を歴史[#「歴史」に傍点]科学に対立させることにあったのである。つまり実は、自然[#「自然」に傍点]と歴史[#「歴史」に傍点]とが対立させられるのである。処がこの対立が元来チグハグなのである。一体ここで
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