]
〔M. Frischeisen−Ko:hler〕, Wissenschaft und Wirklichkeit. ――P. Volkmann, Erkenntnistheoretische 〔Grundzu:ge〕 der Naturwissenschaften. ――J. Cohn, Voraussetzungen und Ziele des Erkennens. ――G. Heymans, Die Gesetze und Elemente des wissenschaftlichen Denkens.
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だが歴史的な根拠から見て一等重大な自然科学の特徴は、それが豊富で充分な実験[#「実験」に傍点]に立脚し、終局に於てこの実験から一切の理論を導き出すことが出来る、ということでなくてはならぬだろう。尤も実験というものが何であるかは簡単には片づかない問題であるが、それは別の機会に明らかにするとして、少くとも之が人間の認識に於ける最も実践的な手段にぞくするものの一つであることには異論があるまい。その意味に於て、観察[#「観察」に傍点]というものも実験のごく初歩の或いはごく低度のもので、従って実験の一つの契機だと見做していい。
実験は併し、正確に云えば決して自然科学だけに固有なものではない、従って之を自然科学にしかない特色だと云い切ることは出来ない。社会科学に於ても、自然科学の場合とは多少規定は別であるにしても、矢張り一種の実験の特色を具えた科学的操作は不可能ではないし、又必要でもあると考えられている*。だがこうした社会科学的実験の観念は、実は、それだけ社会科学を自然科学に近づけようとする努力そのものから動機しているのであったから、従って、実験が自然科学に特徴的な特色であることが、これによって却って益々確実になるわけである。
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* 社会科学、特に経済学に於て実験の可能と必要とを説いたものは E. Simiand である。拙著『現代哲学講話』の内「社会科学に於ける実験と統計」の項〔本全集第三巻所収〕参照。
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観察と実験とは併し、実は何も近世自然科学と共に始まったものではない。エジプトの医学や天文学や幾何学も、バビロンの星学も、観察と実験との所産以外の何物でもあり得なかった。タレスからアリストテレスに至るギリシア自然哲学の発展も亦、優れた観察と実験との結果を集成する過程であった。中世に於てもアラビアの自然科学(ギリシアの自然哲学とインドからの影響の下に立つ数の科学と)に於てばかりでなく、ヨーロッパの神学者でさえ、観察や実験と無関係に物を云っているのではない。ヴィテロは光学の考察に於て有名であるが、特に実験に注目したと云われるロージャー・ベーコンは十三世紀のフランチスカン派の僧侶だった。――だがそれにも拘らず、中世ヨーロッパの学問は対象を自然に求める代りに之を主として聖書(而も主にそのラテン訳)と註釈書とに求めた。「自然の光明」は「書かれた光明」に光芒を奪われていたのである。物質的生産技術のために自然を大規模に探究する必要を認め得なかった領主的・教権的・封建中世ヨーロッパに、実験という手段が学問の意識的な手段にまで上昇する理由はなかったのである。
それが所謂ルネサンスとなれば(之は十三世紀から十六世紀まで――ダンテからシェークスピアまでも含むが)、歪曲された聖書解釈と教会の不正なトリック(例えば法皇領の偽証書)との暴露などを通じて、学問はプラトンへ、それから本来のアリストテレスへと、古典復古するわけであり、一般に学芸は神と僧侶領主階級との文化の代りに、自由な人間的文化へと復興するわけである。――処が古典ギリシアそのものにあっても、必ずしも実験(乃至観察)の重大性をハッキリと示すに足るだけの条件は具わっていなかった。観察や実験を少なからず用いるということは、それだけではまだ実験の本当の面目を明示し自覚したことにはならぬ。例えばアリストテレスの『物理学』(フュジカ)は、直接には何等の実験に基いたものでもなく、又直接な自然観察に立脚したものでさえもない。ディルタイなどが強調しているように、之は単に自然の解釈[#「解釈」に傍点]であって、自然の事実に立つ実験的な、従って又因果的な、説明[#「説明」に傍点]ではない。だからこういうものは正当な意味では、近代自然科学から極めて遠いものと云わねばならぬ。彼の動物学的理論になれば観察や実験は大いに利用されているのだが、之は遺憾ながらアリストテレス的学問法の代表的な部分ではなかった。
実験又従ってその一契機としての観察の、不可避的に重大な意義を知るようになったのは、何と云っても、だから近世であり、近世の自然科学的精神の台頭と一緒なのである。その意味で初めて実験が近代自然科学の特色をなす。研究手段としての実験に着眼し始めたのは十三世紀に遡る。ロージャー・ベーコンと共に Dietrich von Freiberg や、Petrus Maricourt の名をここに数えることが出来る*。フランシス・ベーコンの実験の提唱は最も有名であるが、併し彼は必ずしも自分で実験をしたのではない。実験の実行に於て誰よりも有力なのはガリレイであったから、自然科学の父はガリレイだと云われることに理由があるのだ。実験を提唱し又みずからそれを或る程度まで試みたものとしては、寧ろフランシス・ベーコンに先立つレオナルド・ダ・ヴィンチを挙げるべきだろう**。尤もアグリコラの技術辞典を私かに利用したかも知れない彼は、自分を勝れた築城家や兵学者として推薦しているように、彼は技術家であって必ずしも近代的な「純粋」な自然科学者ではなかった***。自然科学は技術乃至技術学に基いてしか発達しないのだが、自然科学の例の独立的な権威が、ここでも自然科学の一応の自律性[#「自律性」に傍点]という現象を出現するという事実が、今は大切だ。そこで結局、ガリレイの名とその実験乃至実験的精神とが、自然科学の特色に結びつけられることになるのである。
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* H. Dingler, Das Experiment による。
** W. Frost, Bacon und die Naturphilosophie, S. 220ff. 参照。
*** I. B. Hart, The Great Engineers, p. 37ff. 参照。
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フランシス・ベーコンは実験の一つの意義を説明して、自然を拷問にかけることだと云っている。現代の唯物論にとっては、社会に於ける人間が自然に対する基本的な関係は、自然を搾取することだと考えられている。実験は正に自然からの飽くことのない搾取のために最も根本的な手段の一つだろう。この一見功利的に過ぎるように見える自然観と自然科学観とは併し、実は自然科学の他ならぬ科学性[#「科学性」に傍点]そのものを最もよく見抜いているものなのである。凡ゆる本当の科学にとっては、実在従って又自然は、一つの運動の過程なのである。自然の認識は、現に与えられた自然現象の認識・利用に止まることは許されないので、過去の現象の反省と将来の現象の予知とを俟たなければ、現に与えられた事象自身の認識・利用さえも不可能なのである。だから自然の自然科学的認識は、将来の事情を「予見するために見る」という有能[#「有能」に傍点](有効)さを持っていなくてはならない。実験はそのためにこそ必要だったのだ。もしそうでなければどこに一体実験の必要があるだろう。
この点から見て、自然科学の科学性はその実証性[#「実証性」に傍点]にあると云うことが出来る。之を強調したのはオーギュスト・コントの実証主義であったが、処が彼及び其の後の各種の実証主義は、いずれも一種の現象主義と一種の経験主義(超経験的な経験主義さえ――E・フッセルルの如き)とに結びついているため、そのまま之をここへ持って来ることは出来ない。本当の予見は実証主義[#「実証主義」に傍点]のものではなくて実は唯物論[#「唯物論」に傍点]の特別な能力に俟たねばならないのだが、その唯物論の極めて「自然」的な立場を恰も自分の仮定として想定する自然科学は、その科学性をこの実証性の内に有っているわけなのである。で、自然科学の特徴は押しも押されもしない実証科学[#「実証科学」に傍点]だという処にあったのである。
この実証性――予見するために見る――は自然科学並びに之を公的標準にもつ今日の諸科学を、他の一切の文化形象から区別する。文芸や道徳や宗教(もし宗教も亦文化形態に数えられるならば)が、たとい現実のリアリスティックな材料に基き、又実際問題に一応の解決を与え、又既成の信仰(Positive Religion)をその内容とするにしても、夫は決して予見するために見るという意味で実証的(Positive)なのではない。実証的とは単に事実的ということではなくて、検証[#「検証」に傍点]が可能だということである。処が検証ということは、一定の予見[#「予見」に傍点]を検証すること以外に意味がないのである。――吾々の問題はそこで、こうした実証性を代表する処の自然科学と、他の諸科学(乃至学問)との関係であり、おのずから又科学と哲学との関係となる。
元来が科学は、哲学から分離して来たものであり、元々その一部分であったことに就いて、今更改めて述べる必要はないだろう。例えば十九世紀の後半に至るまで自然科学という言葉と自然哲学という言葉とはあまり区別されていなかった。現代では自然哲学などというものの代りに自然科学があり、それで充分事が足りると考えられる傾きが支配的だが(併しそれでも最近の政治的反動時代に相応しく、ロマン主義的な神秘思想がナチス・ドイツあたりで復興されるに及んで、身心関係の問題などを縁として一種の自然哲学が復興しつつあるのだが)、凡ゆる社会階級を一様に通じては行なわれ得ない理由を有っている社会科学乃至歴史科学に就いては、今日でもなお依然として、或いは、最近の事情の下には愈々、之と密接な関係のあるものとして、各種の社会哲学[#「哲学」に傍点]や歴史哲学[#「哲学」に傍点]が尊重されているのである。
処でこの種の自然、社会、歴史、の「哲学」は、単に哲学の夫々の一部門であるというだけではなく、実は之が哲学一般[#「一般」に傍点]を、哲学そのものを、一切の「科学」から区別しようとするために必要なので、このように強調されているのである。つまり科学の外に何等かの哲学という学問(否学問でなくてさえいいのであるが)を安置することが、この試みの興味であるように見える。――この試みの最も露骨なものは、各種の「科学の批判」の仕方の内に現われている。科学(特に自然科学)は吾々が前に見た通り、実証的であった。論者も亦まずこの規定から出発する。科学(乃至特に自然科学)は実証的である。だが哲学は之に反して批判的[#「批判的」に傍点]である、というのである。
一体実証的という欧米語は積極的・肯定的・プラス的ということを意味する。例のコントは、之と対比して、従来の哲学即ち彼の言葉に従えば形而上学を、消極的でマイナス的だという意味に於て、批判的だと考えた。特にカントの所謂「批判主義」はその適例だというのであった。コントに於ては自然科学はそのままで学問全般の標準であり、それに準じる限り哲学も科学も区別はないのであり、従ってつまり哲学なるものの存在理由は終局に於てなくなるのであるが、そういう実証主義と科学乃至自然科学の万能主義とに、まずアカデミシャンとしての身辺の不安を感じたものは、ドイツの哲学教授達であった。ヘーゲルの哲学体系の美事な完結と又その同じく美事な崩壊とは、哲学そのものの完成とその完全な没落とを意味するかのように受け取られた。この状態から「学としての哲学」を救い出すためには、かの消極的でマイナスなものと貶されたカン
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