存在=対象そのものが一定の方法を必然なものとして、科学に向って指定するのである。後に見るように、この点は忘れられてはならない点だ。が、この場合、この客観的存在が、それ自身歴史的社会的存在である場合は勿論のこと、たとい、夫が自然界であったにしても、自然は、人為化され社会化された限りの自然(技術によってマスターされた自然)と、及びその条件となっている歴史的社会一般の存在自身とに、直接連続していたから、矢張り科学は一般に、この技術的[#「技術的」に傍点]条件によって歴史的社会的に制約されることを原理的に免れない、ということになるのである。実際、社会の技術的水準[#「技術的水準」に傍点]に依存するのでなければ、如何なる自然科学も、又如何なる社会科学も、発達し得ない。――処で、この技術自身は社会階級などとは異って、何等かの主観にぞくするものではなくて、客観的な物質的な世界だが、併し大事なことは、やがてそれが階級主観に連絡していることであって、実際、技術がブルジョアジーのものであるかプロレタリアのものであるかは、一切の科学の発達進歩にとって、根本的な致命的な問題なのである*。
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