る程多いということを忘れてはならないのである*。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 自然科学の如何なる専門家も、その範疇を一般的に問題にすることによって哲学の問題に口を容れる時、全く素人だということは、常に忘れられてはならない点だ。科学に信用のあることと、科学者の科学解釈を信用しなければならぬということとは、殆んど全く別なことだ。――例えば今日のブルジョア諸国の物理学者達は因果律に就いて、機械論的・決定論的な範疇をしか持ち合わさない。因果的必然は、範疇として偶然と完全に機械的に対立させられる。ところでこの機械的因果律の観念を覆すような物理現象が現われると、忽ち無条件な偶然論[#「無条件な偶然論」に傍点]などを提唱することになるのである。処が実は、偶然から切り離されて理解され得る必然などは、弁証法的にはナンセンスなのだ。
[#ここで字下げ終わり]

 にも拘らず、云うまでもなく科学の方法[#「科学の方法」に傍点]は、何等かの社会的歴史的主観によって(従って又おのずから多くの場合階級的に)決定し尽される[#「尽される」に傍点]ものではない。実はそれより先に、まず第一に、客観的
前へ 次へ
全322ページ中99ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング