在だという処に存する。実は知識と雖も多くの場合、単に個人が主観的に持つ認識内容には限らないのであって、それが客観的な事物の反映・模写であった限り、社会に生存しまた生存した又生存するであろう他の多数の個人も亦、之を公有し得るのが当然だろう。知識も亦社会的に普及され歴史的に伝えられることが出来る。だが、之が著しく高度に公共化し又著しく判然と伝承され得る場合は、他でもない夫が科学の組織の一断片としての資格を得る時であって、科学とは、知識が社会的に普及され歴史的に伝承されるということ自身が、云わば組織化された場合を指すのである。知識の組織的な普及伝承の形式が科学なのである。この意味に於て、科学にして初めて、社会的歴史的な客観的存在[#「客観的存在」に傍点]となる*。
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* ドイツ観念論では科学というこの客観的な文化財は、精神[#「精神」に傍点]の内に数えられる。というのは、精神とは主観の心を超越して歴史的に社会的に生きる客観的形象のことだ。――客観的精神こそ精神の本領である。
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 ここでは個々の社会人が歴史の動きにつれて得たり
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