明確なものではない。形態心理学などの主張によれば、感覚は心理的実在性を有った要素ではなくて、単に心理学者が仮構によって造り出した心理要素に過ぎない。直接に与えられた心理的要素は感覚ではなくて、知覚[#「知覚」に傍点]だというのである。事実カントなどは感覚をば与えられた無形式な直観素材だと考え、之を改めて時間空間という直観形式にあて嵌めて初めて、知覚という資格を持った知識になると考えているから、感覚という概念のこの訂正乃至抹殺はカント認識理論の根本(その認識構成主義理論の最初の一部分)をゆり動かすものだろう。
だが吾々の場合にとっては、感覚でも知覚でも大した違いは出て来ない。それが、客観的存在としての物そのもの(実は「物」ではなくて他の何であっても大した違いは出て来ないが)が主観に与えた影響・結果であることを、示してさえいればいいのである。――その意味で、知識・認識即ち実在の模写が、第一に感覚乃至知覚として現われると云っていい。一切の知識はこの感覚乃至知覚から始まり[#「始まり」に傍点]、それから発達[#「発達」に傍点]するのである。
処がここですでに何より注意しなければならぬことは
前へ
次へ
全322ページ中78ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング