ば、哲学者が意識と称するものは意識界ではなくて、単に超時間的な意味の連絡界[#「意味の連絡界」に傍点]のことに過ぎない。それならば確かに、宇宙の自然の時間的秩序とは無関係だろう。だがそうすれば、こういう意味をどんなに解釈[#「解釈」に傍点]しても、物とそれの意識による認識=知識との関係の理解とは、全く無関係な筈だ。そうするとこの所謂哲学者達――実は一切の発達した高級な観念論哲学者達――は、認識理論に一口たりとも容喙する権利がない、ということになって来る*。
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* 現代の観念論の殆んど凡てのものは、実在の秩序の代りに、意味の秩序を与えようとする。世界を認識する代りに、世界が有っている意味を解釈しようとするのである。――この点の批判に就いては拙著『日本イデオロギー論』〔前出〕参照。
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で単なる意味の世界の解釈でなく、実在する意識と実在する自然との関係になれば、「科学」が与える成果を無視して、如何なる「哲学」的な認識理論も成り立たない。処で、意識は自然の発達過程の或る段階に於て自然の内から発生したのだったが、そこから物と心
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