うに考えるのには、併し一つの重大な理由があるのである。彼等が意識の問題と考えているものは、実は意識そのものの問題ではなくて、意識が有つ根本的な併し単に一つの性質である処の、意味[#「意味」に傍点]の世界に就いての問題に他ならないのである。なる程意識は、意味を意識的に有ち得る唯一の存在(Bewusst−Sein)である。或いは意味を有つということに意識の存在性(意識されてあること)があると云ってもいい。そこで哲学者達は、意識の世界の心算で意味[#「意味」に傍点]の世界を持って来る。之ならば確かに自然界と一応別で、又それとは秩序=世界を全く異にしているだろう。
 だが第一、意味そのものは何等の時間[#「時間」に傍点]を有っていない、意味そのものはその点で超時間的で永遠なものだ。処が意識は現に時間を以て流れている。意識は流れないという考え方もあるが、それでは流れると考えられる方の意識とこの流れない方の意識とはどう関係するか、と問わねばならぬ。もしこの間に関係があるとすれば、哲学者は更に進んで、意味とこの流れる意識との連絡を与える義務も課せられることになるだろう。――でもし意味と意識とが別なら
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