とは別として)写すという、その真実さ[#「真実さ」に傍点]を有つ点に、譬えたのである。ここで真実や真理ということは最も率直に云って、ありの儘[#「ありの儘」に傍点]ということだ。知識が真実であり真理であるためには、少なくともまず第一に、事物をありの儘[#「ありの儘」に傍点]につかまなくてはならぬ。真実とか真理とかいう常語が(哲学者のムツかしい術語は別にするとして)之を要求しているのである。そこでこの「ありのまま」の真理を掴むということを、模写[#「模写」に傍点]という譬喩を以て云い表わしたに他ならない。だからこそ、知識・認識と模写・反映とは、同義であり反覆なのである。
ではなぜ意識は自分とは明らかに別なものであるこの物を、反映・模写出来[#「出来」に傍点]るのか、と問うかも知れない。それが出来るか出来ないかが、抑々カントの天才的な疑問だったではないか。なぜ物はありのままに掴まれ得るのか。――それはこうである。まず、意識はそれが如何に自由で自律的で自覚的なものであるにしても、脳髄の所産であるという、一見平凡で無意味に見える事実を忘れてはならない。意識が脳髄の所産であるなどは、意識の問
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