einer reinen Pha:nomenologie ……〕)。
[#ここで字下げ終わり]

 或いは云うかも知れない。知識・認識が客観的存在の反映模写であるということが、仮に誤りではないにしても、夫は何等知識の説明になるものではない。知識・認識がそういう意味で反映・模写であるということは、云わば同語反覆に他ならないではないか、と。全くその通りである。客観的存在を模写するということは、単に[#「単に」に傍点]、知識を有つということそのこと、認識するということそのこと、以外の何物を意味するのでもないのである。云わば認識という言葉の意味[#「言葉の意味」に傍点]は、実在を模写するということをおいて他にないのである。認識はどういう風にでも説明され得るだろう、それは主観による知的材料の構成の結果でもいいし又ただの所謂模写・反映の結果でもいい。だがいずれにしても、認識ということが模写ということなのだ。
 一体模写・反映ということは、知識や認識を物理的な鏡の機能に譬えた言葉だが、鏡のどこに譬えたかと云えば、鏡が(平らであって塵がなければ)物をそのままに[#「そのままに」に傍点](左前になるこ
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