題にとってどうでもいいではないかと哲学者達はいうなら、それならば少なくとも之を認めても差支えはない筈だろう。意識は脳髄という生理的物質の未知ではあるが或る一定の状態乃至作用だと考える他に現在道はない。之は生理学の真理を認める限り哲学者と雖も想定しなければならぬテーゼである。もし之を承認しないならば、意識の発生と成立とを哲学者はどこから説明するのか。もしその説明が与え得られないとすれば(霊魂の不滅説をでも科学的なテーゼとして持ち出さない限り)、吾々が今与えたような説明が現在可能な唯一の説明ではないか。哲学者はどこにこの説明を斥ける権利があるのか。それとも夫が到底説明し得ないということでも説明しようとするのであるか。だが不可能を説明し得るのは数学に於てしかあり得ない出来事だ(例えば五次以上の方程式の一般解決の不可能の如き)。
さてこの物質は云うまでもなく自然にぞくしている。夫が自然の歴史的発達の一つの高度な所産である他はないということは、現在の天文学・地質学・進化論・生物学・等々が一致連関して結論している処である。で吾々は、ブルジョア観念論哲学者の苦々しい顔色にも拘らず、意識は自然の発達
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