問題にしたのではなくて、一般に知識というものの性質が何かという根本疑問から出発したのが事実であって、その結果偶々彼に於ては、自我の問題が必然的な帰結として導き出されたに他ならなかった。
 近世哲学は知識の検討、或いはその再検討から始まる。スコラ哲学に就いての知識に深く通じていたらしいデカルトは、却ってスコラ哲学的な知識に就いての疑問を提出した。夫が彼の哲学の出発点をなしている。だがスコラ哲学的知識の批判者としてならば、もっと大規模にそしてもっと判然とした形で現われているものに、すでにフランシス・ベーコンがあったということを、ここに思い出さねばならぬ。すでに述べたように、彼による実験的方法の提唱はその中世的な形相観にも拘らず、他ではないスコラ哲学の僧侶的知識に対して意識的に反抗するためのものであったのは云うまでもない。実験と自然観察とに結び付いている帰納[#「帰納」に傍点]の論理は、彼の知識獲得法乃至知識拡大法に他ならなかった。で、近世哲学が知識(乃至認識)の問題と共に始まったとすれば、近世哲学の発端は大陸の隠遁家デカルトよりも寧ろイギリスの偉大な俗物ベーコンにあったと云わねばならぬ。

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