科学が実在[#「実在」に傍点]に就いての認識であり、そして科学の認識が一定の科学の方法[#「方法」に傍点]によって初めて成り立つという関係を抜きにして、科学の統一性も科学性も、結局無根拠で無内容だからだ。で問題は、「科学と実在」との関係と、「科学の方法」のテーマとへ、移行する。
[#改段]
二 科学と実在
仮に、科学は知識の或る一定の集積乃至組織化だと考えておいていいだろう。まず、ではその知識[#「知識」に傍点]とは何かということになる。この問題に就いての近代的な研究の始まりが、J・ロックによって代表されるイギリス経験論と、デカルト及びライプニツによって代表される大陸の合理主義との、対立の内に存することは、広く知られている通りである。尤も近世哲学の特色は色々に説明されているのであって、特にドイツ観念論をそのまま踏襲する今日の多数の哲学者達によると、後にフィヒテやヘーゲルに於て果を結んだ自我の問題こそが、近世哲学の発見した何よりのテーマだというのである。デカルトは普通そうした意味に於ける近世哲学の鼻祖とされている。だが、デカルトが自我の問題に行き当ったのも、実は初めから自我を
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