科学なるものを統一的に体系化[#「体系化」に傍点]し得るものは、ただ唯物論だけだという結論となる。技術的範疇の特色である範疇の共軛性が之を能くするのであった。
 哲学とは範疇体系(=方法・論理)の他の何物でもない。F・エンゲルスが『フォイエルバハ論』に於て、将来の哲学は形式論理と弁証法との他にないと云ったのは、この意味だろう。所謂科学は云わば特定の認識内容[#「内容」に傍点]である、之に対して所謂哲学はそれの特定形式[#「形式」に傍点]と、夫の一般形式への拡大[#「拡大」に傍点]とを意味する。方法や論理は、このような認識の形式を指すのでなければならぬ。ただこの形式は、内容自身からの所産であり、内容が分泌した膠質物であって、内容以外から来たものでもなく、ましてアプリオリに天下って来たものでもない。だから今の場合形式に相当するこの方法や論理、即ち哲学は、内容に相当する処のこの科学そのものからの抽出物[#「からの抽出物」に傍点]として以外に、又それ以上に、その独自性を持つことは出来ない約束なのである。社会乃至歴史科学そのものに対する史的唯物観[#「史的唯物観」に傍点](唯物史観)の一般論や、
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