自然科学も社会科学も成り立ちはしないのである。――そして範疇のこの共軛関係なるものは他でもなく、自然と歴史社会とが、一つの史的発展の二つの異った段階であったという実在関係に、根拠を有っていた。
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* 共軛性の説明については拙著『現代哲学講話』〔前出〕の初項を見よ。
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 学問乃至科学一般はその理想から云って唯一で単一な統一物でなくてはならぬ。処が社会科学乃至歴史科学は、夫が唯物論的哲学組織に基かない限り、現にブルジョア社会科学の場合に見られるように、第一、自然科学との間に何等の原理的な必然的連関を見ることが出来ない。そればかりではなく、唯物論に立脚しない限り、社会科学乃至歴史科学の夫々の間に殆んど何等の理論的一致の可能性を保証し得ない。更に又夫だけではなく、自然科学も亦唯物論と絶縁する時、何等哲学に対して本質的に意義のある結合を有つことが出来ないし、又その必要さえも感じ得ない。専門の科学者が自然科学自身に基いて企てると号する自然科学観や世界観が、如何に任意で勝手なマチマチのものであるかを見れば、この点はよく判る。で、凡そ
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