即ち範疇組織が、哲学の方法であり体系であり、哲学の真髄なのである。かくて一般に哲学の相違は、その体系の相違に、その方法の相違に、その論理即ち範疇組織の相違に、原因する。
 範疇とは元来根本概念のことであり、従って一応は根本観念のことだから、その限りでは全く主観の任意か自由かによって左右され得るわけである。従って範疇組織も、一応任意な体系に組織される自由を有ってはいる。ここに一切の観念的哲学の殆んど無政府的な乱立を結果する原因が潜んでいる。如何なる哲学を採用するかは、その人が如何なる人となりであるかによるのだ、と代表的なドイツ式主観的観念論者、フィヒテなどは、断言している。
 だが他方範疇は実は事物そのものの性質を抽象・要約・普遍化したものであればこそ、その存在理由を有っているのだ。概念とは実はただの観念ではなくて、事物を把握するに適した限りの観念のことだった。そうすればこの根本概念の相互の間の必然性によって結びついて出来上った範疇組織も亦、決してそんなに勝手に主観的な必要だけで出来上ったものではあり得ない筈だ。従ってこの範疇組織がそれ程無政府的な乱立をするのは、その組織内にどこか範疇組
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