ネいので、実は自然そのものをマスターし之を変革する処の技術の領域だったからだ。ここに技術によってマスターされた限りの自然なるものを考えなければならなくなる。之は云うまでもなく依然として自然そのものなのだが、夫にも拘らず、それが技術によってマスターされた限り、ただの自然ではなくて、社会[#「社会」に傍点]の物質的基底であり又社会的存在にぞくする自然でなくてはならぬ(発電所や植林、道路・橋梁・堤防・築港など)。明らかに之は自然そのもの[#「そのもの」に傍点]と社会との共通領域である。
 そうすれば、例の自然そのものの弁証法も亦、この部分に於ては[#「この部分に於ては」に傍点]、史的唯物論の一部分と実質に於て別なものではない。史的唯物論の一部分が自然弁証法にぞくすると共に、自然そのものの弁証法の一部分が、又史的唯物論にぞくする、ということになる。之が第三の連関である。
 (処でこの第三の連関から結果することは、自然そのもの[#「そのもの」に傍点]の弁証法の一部分[#「一部分」に傍点]が――併し全体がではないことを忘れてはならぬ――このようにして史的唯物論の一部面と相蔽うことによって、自然科学
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