ニってどれだけの違いがあるのか。自然弁証法などというものは元来有害であるし、もし又仮に有害でないとしても、少なくとも無用の長物ではないか、と多くの自然科学者はいうのである。こうした自然科学者の常識的[#「常識的」に傍点]な見解は、云うまでもなく、例の自然弁証法否認論者の一つの支柱となっている。――併し私は今はここでこうした自然科学の専門家達の、職業的な蒙を啓こうとは思わない。それは事実決して容易な仕事ではないからだ。又私はここに弁証法的唯物論の定説を展開する余裕を有たないから、弁証法的唯物論の歪曲に基く処の、例の自然弁証法否定論者を説得しようとも思わない。私は寧ろ逆に、何故自然弁証法が成り立ってはならない[#「ならない」に傍点]と考えねばならぬか、の説明の責を彼等に負わせる権利を有つと思う。なぜなら、一体彼等は、統一的[#「統一的」に傍点]な自然科学的世界観をば何と名づける心算なのだろうか、と問いたいからである。今私が説明の責を負うべきものがあるとすれば、夫は自然弁証法と史的唯物論との連関[#「連関」に傍点]に就いてである。
自然弁証法は自然科学的世界[#「世界」に傍点]を云い表わす
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