Bここから又、マルクスは深遠であったがエンゲルスは浅薄であるとか、マルクスとエンゲルスとでは見解が矛盾しているとか、という批判も発生する(因みに、マルクスが自然科学に就いて無関心であったという種類の見解が、如何に理由のないものであるかは、リャザーノフがエンゲルス『自然弁証法』の解題で証明している)。――エンゲルスは「自然の弁証法」の他に「弁証法と自然科学」「自然研究と弁証法」というような表現を用いている(前出リャザーノフの「解題」参照)。なおE・デューリングは『自然的弁証法』(〔natu:rliche Dialektik〕)なる書物をエンゲルス以前に書いている。
** 弁証法を主観と客観との間に於てしか認めない田辺元博士や西田幾多郎博士の理論は、之にぞくするか又は之に帰着する。前者はその意味に於て、「自然の弁証法」は認めるが所謂「自然弁証法」は成り立たないと主張する。
[#ここで字下げ終わり]
のみならずこの種類の意見が、自然科学者自身によっても、最も屡々懐かれるものだという点は、注目に値いする。自然弁証法であろうと無かろうと、自然弁証法を用いようと用いまいと、夫が自然科学の研究に
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