科学は、たとえば自然科学などの例で明らかなように、まだ必ずしも専門家によって之を自覚される処にまで行っていない。之は却って寧ろ、自然科学の特殊現象で、夫が異常に急速に発達した(十九世紀後半を一期として二十世紀の今日までを二期として)結果だと見るべきだろう。が之によって自然弁証法という統一的な自然科学的世界のシステムが不可能であったり不用であったりすることにはならぬ*。自然科学は今に、みずから自然弁証法の不可欠な必要を、自覚[#「自覚」に傍点]せざるを得なくなるだろう。尤も実際には、之まででも又現在でも、自然科学者自身の自意識如何に拘らず、自然科学に於ては自然弁証法が必要にされているばかりでなく、現に不完全な形で以てさえ、敢えて用いられているのであるが。
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* 自然弁証法は体系を持たない、と主張する人があるかも知れぬ。だがその意味は固定した図式を持たぬということであって、展開し連関する機構を持たぬということではあり得ない。そして後のものこそ、本当のシステムの意味だ。雪達磨は固定した図式は持たぬ、であればこそ転がる過程に於て自分自身を太らせて行くシ
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