者だった。で思惟の弁証法(唯物弁証法一般)が自然弁証法や史的唯物論に先立つと考えてはならなかったように、後の両者は又夫々、自然科学的諸認識や社会科学的諸認識に先立つことは出来ない筈だ。自然弁証法や史的唯物論がまずあるのではなくて、そういう諸科学の一般的な思惟法則(だが之は実は又自然や社会そのものの法則でもあったのだが)を産む処の、個々の科学的諸認識が(個々の自然現象や個々の社会現象が)、まずあるのである。
 だが夫にも拘らず、自然や社会の個々の諸現象の経験から、一定の個々の科学的諸法則[#「諸法則」に傍点]が抽出され、そして今度はこの個々の諸法則が却ってその後の経験を指導・統制・統一して行くのでなければ、科学的進歩はないが、丁度夫と同じに、こうした個々の経験及びこうした個々の諸法則から、科学的な一般的根本法則[#「一般的根本法則」に傍点]としての自然弁証法や史的唯物論が抽出導来された揚句は、却ってこの自然弁証法や史的唯物論が、その後の個々の経験と個々の科学的諸法則とを、指導・統制・統一して行くことが出来る筈であり、又そこまで行くことが諸科学の認識にとって絶対に必要なのである。――今日の
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