乃至弁証法的唯物論[#「弁証法的唯物論」に傍点]によって与えられる。正当な意味に於ける唯物論、或いは正当な意味に於ける弁証法が、両者の統一媒介を可能にする。そういう意味に於て、自然弁証法と史的唯物論とは、弁証法的唯物論の、夫々自然と社会とに就いての、二つの部門であると云っていい。――だがここにすでに問題が横たわっている。
云うまでもなく吾々は、唯物弁証法一般[#「一般」に傍点]なるものを考えることが出来る。吾々は之を使って物を考え又物を云わねばならぬと考える。之は明らかに、まず第一に思惟[#「思惟」に傍点]の法則としての唯物弁証法だ。処でこの思惟法則が自然に就いての自然科学と、社会に就いての社会科学とに、夫々適用される時、夫が自然弁証法と史的唯物論だ、という風にも考えられる。つまり唯物弁証法には三つあって、思惟の弁証法と、之が特殊化(具体化・適用・其の他)された自然の弁証法と、社会の弁証法とに区別される、ということになる。
だがこの云い方には或る根本的な誤りを暗示するものが含まれている。云い方は実はどうでもいいのだが、その云い方から惹き起こされる色々の帰結に、重大な誤謬が混入して来
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