内に現われている。科学(特に自然科学)は吾々が前に見た通り、実証的であった。論者も亦まずこの規定から出発する。科学(乃至特に自然科学)は実証的である。だが哲学は之に反して批判的[#「批判的」に傍点]である、というのである。
 一体実証的という欧米語は積極的・肯定的・プラス的ということを意味する。例のコントは、之と対比して、従来の哲学即ち彼の言葉に従えば形而上学を、消極的でマイナス的だという意味に於て、批判的だと考えた。特にカントの所謂「批判主義」はその適例だというのであった。コントに於ては自然科学はそのままで学問全般の標準であり、それに準じる限り哲学も科学も区別はないのであり、従ってつまり哲学なるものの存在理由は終局に於てなくなるのであるが、そういう実証主義と科学乃至自然科学の万能主義とに、まずアカデミシャンとしての身辺の不安を感じたものは、ドイツの哲学教授達であった。ヘーゲルの哲学体系の美事な完結と又その同じく美事な崩壊とは、哲学そのものの完成とその完全な没落とを意味するかのように受け取られた。この状態から「学としての哲学」を救い出すためには、かの消極的でマイナスなものと貶されたカン
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