り区別されていなかった。現代では自然哲学などというものの代りに自然科学があり、それで充分事が足りると考えられる傾きが支配的だが(併しそれでも最近の政治的反動時代に相応しく、ロマン主義的な神秘思想がナチス・ドイツあたりで復興されるに及んで、身心関係の問題などを縁として一種の自然哲学が復興しつつあるのだが)、凡ゆる社会階級を一様に通じては行なわれ得ない理由を有っている社会科学乃至歴史科学に就いては、今日でもなお依然として、或いは、最近の事情の下には愈々、之と密接な関係のあるものとして、各種の社会哲学[#「哲学」に傍点]や歴史哲学[#「哲学」に傍点]が尊重されているのである。
 処でこの種の自然、社会、歴史、の「哲学」は、単に哲学の夫々の一部門であるというだけではなく、実は之が哲学一般[#「一般」に傍点]を、哲学そのものを、一切の「科学」から区別しようとするために必要なので、このように強調されているのである。つまり科学の外に何等かの哲学という学問(否学問でなくてさえいいのであるが)を安置することが、この試みの興味であるように見える。――この試みの最も露骨なものは、各種の「科学の批判」の仕方の
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