もしない実証科学[#「実証科学」に傍点]だという処にあったのである。
 この実証性――予見するために見る――は自然科学並びに之を公的標準にもつ今日の諸科学を、他の一切の文化形象から区別する。文芸や道徳や宗教(もし宗教も亦文化形態に数えられるならば)が、たとい現実のリアリスティックな材料に基き、又実際問題に一応の解決を与え、又既成の信仰(Positive Religion)をその内容とするにしても、夫は決して予見するために見るという意味で実証的(Positive)なのではない。実証的とは単に事実的ということではなくて、検証[#「検証」に傍点]が可能だということである。処が検証ということは、一定の予見[#「予見」に傍点]を検証すること以外に意味がないのである。――吾々の問題はそこで、こうした実証性を代表する処の自然科学と、他の諸科学(乃至学問)との関係であり、おのずから又科学と哲学との関係となる。
 元来が科学は、哲学から分離して来たものであり、元々その一部分であったことに就いて、今更改めて述べる必要はないだろう。例えば十九世紀の後半に至るまで自然科学という言葉と自然哲学という言葉とはあま
前へ 次へ
全322ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング