用に止まることは許されないので、過去の現象の反省と将来の現象の予知とを俟たなければ、現に与えられた事象自身の認識・利用さえも不可能なのである。だから自然の自然科学的認識は、将来の事情を「予見するために見る」という有能[#「有能」に傍点](有効)さを持っていなくてはならない。実験はそのためにこそ必要だったのだ。もしそうでなければどこに一体実験の必要があるだろう。
 この点から見て、自然科学の科学性はその実証性[#「実証性」に傍点]にあると云うことが出来る。之を強調したのはオーギュスト・コントの実証主義であったが、処が彼及び其の後の各種の実証主義は、いずれも一種の現象主義と一種の経験主義(超経験的な経験主義さえ――E・フッセルルの如き)とに結びついているため、そのまま之をここへ持って来ることは出来ない。本当の予見は実証主義[#「実証主義」に傍点]のものではなくて実は唯物論[#「唯物論」に傍点]の特別な能力に俟たねばならないのだが、その唯物論の極めて「自然」的な立場を恰も自分の仮定として想定する自然科学は、その科学性をこの実証性の内に有っているわけなのである。で、自然科学の特徴は押しも押され
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