驍謔、に、夫の一定の整理[#「整理」に傍点]が必要だ。だから一つの新しい経験は、いつも既得の経験の整理された地盤の上でしか受け取られず、又云わばその再整理のためにしか受け取られない。この整理を負担に感じる鈍重下根な意識は、だから新しい経験を恐れ又は排撃する。無論、そうした主体側の用意と活動意識がない時でも、印象は外部から強制的に与えられることもある。だがそれは、そうしたものとしては、単なる雑多な知覚乃至感覚の段階に足踏みする、宿命を持っているだろう。真の経験は、即ち云わば世界を経めぐりつつ生活を験めすというこの人間的過程は、勿論知覚乃至感覚から出発するのであるが、併し単なる知覚[#「知覚」は底本では「知角」]や感覚は、まだ経験という資格を有っていない。雑多な知覚や感覚が整理されてこそ初めて経験だったのだ。
だから、科学が経験の組織だと云ったが、その経験自身が、すでに整頓された組織物でしかない。処でこの経験に於ける組織関係そのものは、夫までの経験による組織であると同時に、即ち経験の所産[#「所産」に傍点]であり結果[#「結果」に傍点]であると同時に、今後の経験の指導的条件[#「指導的条
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