竄ェて経験するだろう処の、否、皆がその条件さえ与えられれば必ず経験する筈である処の、内容であらざるを得ない。で経験はそれ自身に、超経験的な、或いは先経験的な、即ちもはや経験論的[#「論的」に傍点]ではない処の、或るものを含んでいる、ということになる*。
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* カントはそこで経験の根柢に「アプリオリ」を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入[#「※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入」に傍点]した。処がE・デュルケムの実証主義は、経験の内からこのアプリオリを導き出して見せる(拙稿「知識社会学の批判」――『イデオロギー概論』〔前出〕の中――参照)。だがアプリオリなるものは、元来二元論用の用語に他ならなかった。
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 併しここで、経験の組織[#「組織」に傍点]という点に注目しなければならぬ。組織にとって必要なものは、第一に経験の蓄積[#「蓄積」に傍点]である。処が蓄積はそれまでの経験の保存に俟つ。経験が保存[#「保存」に傍点]されるためには、記憶がそうであ
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